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雪菜Pになったわけ

 こんにちわ。雪菜Pです。  もちろん、『雪菜P』は自分自身のハンドルネームではありません。自分自身のハンドルネームは『あ~ちゃん』という単純なものです。


 しかしここでは、雪菜のP=プロデューサーとして活動していますので、雪菜P、と名乗らせていただきたいと思います。  ふと思い立って、ブログを始めることにしました。

 子供の頃から、私の両親は自己学習信者・・・とでもいいましょうか、子供を塾に通わせるより、自己学習の方法を詳しく載せている参考書やら、推薦図書やら、日記帳やらを買い与える両親でした。  見た目が凝っていればテンションが上がるとでも思ったのでしょうか。よくハードカバーのやたら分厚い、図書室に置いてある専門書かな、と思うほどのしっかりした表紙の日記帳を与えられてました。  しかし基本がめんどくさがりなのと飽き性のため、ほぼ三日坊主だったなぁ・・・。毎年終わりくらいになると、ほぼ真っ白な重厚な表紙の日記帳を処分していたのはいい思い出です。  しかし、こちらではそうならないように、がんばっていきたいと思います。(これも日記を始めるときに必ず思うことですが)  さて、それではタイトルの話題に。  何故、雪菜のPになろうと思ったか、というお話です。  雪菜は小学5年生くらいまでは、普通の、まぁ、どちらかというと音楽が好きな方かな、といったくらいの子供でした。  ただ、家では私たち夫婦が音楽好きだったため、ジャンルを問わず、とにかく音楽は垂れ流していました。が、特に楽器を勧めるわけでも歌を勧めるわけでもなく。  ただ、小学生3、4年生になるころに、家は共働きだったため、学童に行っていたのですが、そこで『先生に習った!』といって、度々ピアノを両手弾きしてみせてくれていました。  音鳴らすのが楽しくて、といっても、大抵片手の単音弾きすると思うのですが、右手と左手、ちゃんと別々に弾いてるのを見て、「おお、すごい」と純粋に思ったのが始まりでした。まぁそこまで追及するようなレベルではなく、あくまで鳴らして楽しむ、程度でしたが。  そのころは、歌っていたような記憶はほとんどありません。  そんな感じで小学5年生の時。  その頃どこで耳にしたのか、Superflyの愛をこめて花束を、を度々口ずさんでいたのですが、ある時、Bメロの『何が愛かわからないほど』というフレーズを、Superflyのように、太く、厚い温かみのある声で歌ってみせたのです。

 その時はじめて、雪菜が  「Superflyみたいなアーティストになりたい!」  と言いました。    私は、Superflyの真似をして歌った雪菜の声を聴いて、 1人の音楽好きな人間として 『素晴らしい歌い手が世に増える嬉しさ』 『天性の音楽の感性を持っている種が、その道で花咲かせる夢を持っている幸運なめぐり合わせ』 『それを様々な面で応援できる自分』 が目の前にあることに、静かに興奮しました。    少しでも歌を歌ったことがある方はお分かりになると思いますが、メロディをその通りに歌うだけでも難しいですが、太く厚い声を出すには、さらに練習を要します。  さらに、声に温かみなどの微妙な印象を含める、というのは、まず感じなければ気づくことができません。  これを、この時未熟ながらもその片鱗を出すために、どれだけ、何をやってきたのか、ということを考えると、 この種をアーティストになる手助けをせねばならない という使命感すら持ってしまった・・・。  しかしながら、私自身は裕福なわけでもなく、どこかコネがあるわけでもなく、道のりは険しいだろうなぁ、と悩みながらのスタートとなりました・・・。

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